●薩摩琵琶 髙橋育世  自作曲のご紹介

◉2022年新作 「八丁沖 長岡城奪還」について

●八丁沖の戦いとは
慶応四年(1868年)旧暦7月24日(新暦9月10日)。戊辰北越戦争。
西軍の攻撃により落城、占領されていた長岡城を奪還するべく、
家老河井継之助の指揮の下、長岡軍600〜700名が、城下の北東側に広がっていた
大沼「八丁沖」(大きさ南北5キロ東西3キロ)を深夜に密かに渡り、
奇襲攻撃によって長岡城奪還に成功した、という戦いです。


この度、約30年ぶりに 琵琶の演奏会に復帰することとなりました。
(第70回新潟市芸能まつり 琵琶楽演奏会 2022年11月6日りゅーとぴあ能楽堂)

復帰にあたり、30年前に故五十嵐雅水師のもとで構想を始めたものの、当時資料が乏しく完成に至らなかった、
郷里長岡の戊辰北越戦争の物語、「八丁沖の戦い」を題材にした、「八丁沖 長岡城奪還」を、
完成させて出演することといたしました。

30年前は、この「八丁沖の戦い」を調べて曲を作るには、図書館で資料を探す、詳しい人を探し当ててお聞きする、
など、方法も限られていました 。
しかし、30年の間に、インターネットで情報を探すことができるようになったり、新たに
河井継之助や戊辰戦争の記録の施設が造られたりして、調べる方法が飛躍的に増えていたのは嬉しい驚きでした。
あんなに、調べても調べてもわからなかったことが、瞬く間にわかりました。

一方で、それを「琵琶の曲」として聞いていただくには、何をどんなふうにお伝えしたら琵琶らしい姿なのか?
という疑問も出て来ました。 ネットの上の情報は戦争の様子を詳しく伝えてくれますが、その情報を並べただけでは、
何か大切なものが足りない、という感じが徐々に強くなりました。


●現場 八丁沖
曲が八割ほど形になってきた頃、現地「八丁沖」に行くことができました。
これは、とても貴重な経験でした。
長岡の中心市街の東北、見附市との境界付近まで広がる八丁沖の跡地は、
今は干拓されて水田になっていますが、大沼の痕跡は今でもありありと地形に感じられ、
その広さは想像以上でした。
向こう岸から上陸地点までも遠いですし、上陸してから長岡城までも予想以上に距離があって、
ここを渡って城に向かって攻め進み奪還に成功した長岡の武士の覚悟と苦労が、
想像を絶するものだったことが窺えます。
吹き抜ける風の感じ、そこから見る山の形、虫の音、今でも付近を豊富に流れる水の音、
ここに来なければわからなかったことが多くあって、来て良かったなと思いました。

この場所で感じたことを入れて、曲を完成させたいと思っています。




写真の広々とした水田一帯が、かつての大沼「八丁沖」の現在の姿です。
わたしが立っているところが、背後の向こう岸から、夜間六時間もの時間をかけて泥沼の中を渡ってきた
長岡軍が未明に上陸した地点で、今は「八丁沖古戦場パーク」という小さな公園になっています。