●薩摩琵琶 髙橋育世(髙橋紫風)



薩摩琵琶 髙橋育世(髙橋 紫風) 

*noteも書いています  
*YouTube  


新潟県長岡市出身。  
長岡高校 新潟大学教育学部特別教科(音楽)教員養成課程バイオリン専攻卒。

幼少時、 TV時代劇の BGMに使われていた「音」に強く惹かれる。
後にそれが琵琶という楽器の音であることを知る。
しかし、当時、和楽器店に問い合わせなどするも、教室や、演奏者など、
琵琶についての情報に行き着くことができなかった。

大学生になった頃、新聞に掲載された佐渡在住の琵琶奏者の方に連絡をとり、
その紹介により、新潟市在住の故 五十嵐雅水師に入門、琵琶の稽古を始める。

大学生時代は、教育実習校の音楽の授業などで琵琶を演奏した。
大学卒業後は、長岡市を中心に演奏活動を行うが、バイオリン教室に専念するため琵琶の活動は休止。

2022年、大島祐輝氏のアニメーション作品「大里峠大蛇伝説(おおりとうげだいじゃでんせつ)」の
作中の琵琶の音の依頼を受けたことをきっかけに、琵琶の演奏を再開。


長い休止の後なので、当面はかつて習ったことを慎重にさらい直しつつ、
今後は、特に若い方や子どもさんたちに向けて、琵琶の良さを知っていただけるような活動を、
自分にできる範囲で行っていきたいと思っています。



20代当時、演奏会の紹介記事が掲載された新聞の写真。


使用楽器について

四弦四柱の薩摩琵琶を使用しています。
この楽器は、私が琵琶を始めた当時、引退するのでご自身の使用していた楽器を手放そうとされていた
高齢の奏者の方から、譲り受けたものです。
若い人に譲りたいというご希望だったそうで、当時教室で最年少だった私が受け継ぐこととなりました。
正確なことはわかりませんが、この楽器は直接譲ってくださった方の世代よりも古いもので、
元々は柏崎のお坊さんの持ち物だった、と師匠から聞いています。
それを裏付けるかのように、琵琶の裏面には「弾声払妖魔」
(弾声妖魔を払う、琵琶を弾く音、歌う声が魔物を追い払うという意味でしょう) と、不思議な言葉が刻まれています。
若い頃には少し恐いようにも思った「魔を払う」琵琶、
払わなくてはならないものがたくさんある今こそ、
また鳴らしてみようと思います。

追記 その後のメンテナンスで、琵琶の専門家の見立てでも、明治期以前の楽器
   ということでした。古い楽器ですが大切に使っていこうと思います。




大里峠大蛇伝説




◉2022年新作 「八丁沖 長岡城奪還」について

●八丁沖の戦いとは
慶応四年(1868年)旧暦7月24日(新暦9月10日)。戊辰北越戦争。
西軍の攻撃により落城、占領されていた長岡城を奪還するべく、
家老河井継之助の指揮の下、長岡軍600〜700名が、城下の北東側に広がっていた
大沼「八丁沖」(大きさ南北5キロ東西3キロ)を深夜に密かに渡り、
奇襲攻撃によって長岡城奪還に成功した、という戦いです。


この度、約30年ぶりに 琵琶の演奏会に復帰することとなりました。
(第70回新潟市芸能まつり 琵琶楽演奏会 2022年11月6日りゅーとぴあ能楽堂)

復帰にあたり、30年前に故五十嵐雅水師のもとで構想を始めたものの、当時資料が乏しく完成に至らなかった、
郷里長岡の戊辰北越戦争の物語、「八丁沖の戦い」を題材にした、「八丁沖 長岡城奪還」を、
完成させて出演することといたしました。

30年前は、この「八丁沖の戦い」を調べて曲を作るには、図書館で資料を探す、詳しい人を探し当ててお聞きする、
など、方法も限られていました 。
しかし、30年の間に、インターネットで情報を探すことができるようになったり、新たに
河井継之助や戊辰戦争の記録の施設が造られたりして、調べる方法が飛躍的に増えていたのは嬉しい驚きでした。
あんなに、調べても調べてもわからなかったことが、瞬く間にわかりました。

一方で、それを「琵琶の曲」として聞いていただくには、何をどんなふうにお伝えしたら琵琶らしい姿なのか?
という疑問も出て来ました。 ネットの上の情報は戦争の様子を詳しく伝えてくれますが、その情報を並べただけでは、
何か大切なものが足りない、という感じが徐々に強くなりました。


●現場 八丁沖
曲が八割ほど形になってきた頃、現地「八丁沖」に行くことができました。
これは、とても貴重な経験でした。
長岡の中心市街の東北、見附市との境界付近まで広がる八丁沖の跡地は、
今は干拓されて水田になっていますが、大沼の痕跡は今でもありありと地形に感じられ、
その広さは想像以上でした。
向こう岸から上陸地点までも遠いですし、上陸してから長岡城までも予想以上に距離があって、
ここを渡って城に向かって攻め進み奪還に成功した長岡の武士の覚悟と苦労が、
想像を絶するものだったことが窺えます。
吹き抜ける風の感じ、そこから見る山の形、虫の音、今でも付近を豊富に流れる水の音、
ここに来なければわからなかったことが多くあって、来て良かったなと思いました。

この場所で感じたことを入れて、曲を完成させたいと思っています。




写真の広々とした水田一帯が、かつての大沼「八丁沖」の現在の姿です。
わたしが立っているところが、背後の向こう岸から、夜間六時間もの時間をかけて泥沼の中を渡ってきた
長岡軍が未明に上陸した地点で、今は「八丁沖古戦場パーク」という小さな公園になっています。



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