●薩摩琵琶 髙橋育世(髙橋紫風)

ページ下方に新作「板額御前」のご紹介を追加しました。
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(2024/8/19追記)



薩摩琵琶 髙橋育世(髙橋 紫風) 

*noteも書いています  
*YouTube  


新潟県長岡市出身。  
長岡高校 新潟大学教育学部特別教科(音楽)教員養成課程バイオリン専攻卒。

幼少時、 TV時代劇の BGMに使われていた「音」に強く惹かれる。
後にそれが琵琶という楽器の音であることを知る。
しかし、当時、和楽器店に問い合わせなどするも、教室や、演奏者など、
琵琶についての情報に行き着くことができなかった。

大学生になった頃、新聞に掲載された佐渡在住の琵琶奏者の方に連絡をとり、
その紹介により、新潟市在住の故 五十嵐雅水師に入門、琵琶の稽古を始める。

大学生時代は、教育実習校の音楽の授業などで琵琶を演奏した。
大学卒業後は、長岡市を中心に演奏活動を行うが、バイオリン教室に専念するため琵琶の活動は休止。

2022年、大島祐輝氏のアニメーション作品「大里峠大蛇伝説(おおりとうげだいじゃでんせつ)」の
作中の琵琶の音の依頼を受けたことをきっかけに、琵琶の演奏を再開。


長い休止の後なので、当面はかつて習ったことを慎重にさらい直しつつ、
今後は、特に若い方や子どもさんたちに向けて、琵琶の良さを知っていただけるような活動を、
自分にできる範囲で行っていきたいと思っています。



20代当時、演奏会の紹介記事が掲載された新聞の写真。


使用楽器について

四弦四柱の薩摩琵琶を使用しています。
この楽器は、私が琵琶を始めた当時、引退するのでご自身の使用していた楽器を手放そうとされていた
高齢の奏者の方から、譲り受けたものです。
若い人に譲りたいというご希望だったそうで、当時教室で最年少だった私が受け継ぐこととなりました。
正確なことはわかりませんが、この楽器は直接譲ってくださった方の世代よりも古いもので、
元々は柏崎のお坊さんの持ち物だった、と師匠から聞いています。
それを裏付けるかのように、琵琶の裏面には「弾声払妖魔」
(弾声妖魔を払う、琵琶を弾く音、歌う声が魔物を追い払うという意味でしょう) と、不思議な言葉が刻まれています。
若い頃には少し恐いようにも思った「魔を払う」琵琶、
払わなくてはならないものがたくさんある今こそ、
また鳴らしてみようと思います。

追記 その後のメンテナンスで、琵琶の専門家の見立てでも、明治期以前の楽器
   ということでした。古い楽器ですが大切に使っていこうと思います。




大里峠大蛇伝説




琵琶の自作曲



◉2024年新作「板額御前」について

板額御前(はんがくごぜん)は、鎌倉時代の新潟(現在の胎内市)に実在した女性武将です。

私が板額御前という名前を知ったのは、もう30年以上も前のことです。
琵琶の師匠、故五十嵐雅水先生と、板額御前の曲を作りたいというお話で楽しく盛り上がった
良い思い出があります。

先生が先に仰ったのか、私がどこかで板額のことを知って、先生にご相談したのか、
その辺ははっきり覚えていないのですが、当時、新しい曲をどんどん作るようにと勧められ、
色々と考えておりましたので、この板額御前も、その中の一つだったと思います。

結局、その当時は調べても情報が少なく、曲を作ることができませんでした。
しかし、板額御前という名前は、忘れることなくずっと頭の片隅にありました。

五十嵐先生の遺稿の中にも板額御前の曲は無かったそうなので、師匠もまた、
この曲を作り上げてはいなかったようです。

私はその後長く琵琶を中断していましたが、琵琶を再開した2022年に、
これも長年の宿題だった戊辰戦争の長岡の戦いでの長岡城奪還の物語「八丁沖」を作りました。
そして、次の宿題として自然に思い浮かんだのが、この板額御前の物語でした。

「八丁沖」の時にもそうだったように、30年前の、「調べても調べてもわからない」
という状態が嘘のように、
今では「板額御前」をネットで調べただけで、たくさんの情報がありました。

その上、2022年に制作に参加させていただき、私が琵琶を再開するきっかけにもなった
「大里峠大蛇伝説」の舞台の関川村が、板額御前の住んでいた胎内市のすぐお隣、という奇遇で。
大蛇伝説でお世話になった関川村の方に、板額御前をご存知ですか?とお聞きしたら、
あっという間に、お知り合いの、胎内市の「板額会」会員の方をご紹介くださり、
これもまたあっという間に、板額会より、沢山の資料をお送りいただく、という、
願ってもないような幸運がありました。
大蛇伝説は、制作中に本当に不思議なことが次々に起ったのですが、
こんなところまで繋げてくれるとは、驚くばかりです。



「板額御前」は、静御前、巴御前とともに、三大御前、と呼ばれる女性です。
一般的には静御前、巴御前の方が有名で、大河ドラマにもこの二人は度々登場していますが、
実は、この三人の中で実在したことがはっきりしているのは板額御前だけだそうです。
板額御前だけが、鎌倉幕府の公式歴史書「吾妻鏡」に登場するのです。

そこには、鎌倉幕府の軍勢の敵(板額の一族である城(じょう)氏は平家方)として、
得意の弓を使い戦場で一族の男性に勝るとも劣らない奮戦をする板額御前の勇姿が、
驚きを持って記されています。

曲を作るにあたり、まずこの吾妻鏡に記載されている板額御前の姿をそのまま取り入れる、
ということは、当初から考えていたことです。
しかし、吾妻鏡の記載は量も多くなく、しかも敵である鎌倉方の視点から一方的に
見た姿です。
琵琶の曲とするには、これだけでは足りないものがある、と感じていました。

ちなみに、静御前、巴御前の曲は琵琶曲として昔から存在します。
史実では実在が怪しいこの二人ですが、琵琶の世界では人気の曲目です。
琵琶曲の静御前は、悲運の女性静の、義経に対する思慕の情と白拍子としての矜持。
巴御前は女武者としての圧倒的な強さに加えて、木曽義仲への忠誠心と愛情がテーマかと思います。

では、この2曲に並べて板額御前の曲を作るとしたら、
吾妻鏡の板額御前の姿に、更に加えるものは何でしょうか?
それは、板額の心情ではないでしょうか。

それを補うために、曲を作り始めるにあたって、板額会の方からお話を伺うことができたのは
大きな助けになりました。
板額会の皆さんが長年調査研究された結果、諸説ある中、おそらくこうであろう、と推測されている
板額の姿や、地元に伝わる伝承、板額御前への思い、などをしっかりとお聞きすることができました。
足りないと思っていたものを組み立てるためのパーツが、お聞きしたことの中にたくさん見つかって、
板額という人の、単に「驚くほど強い女武者」というだけではない姿が思い浮かぶようになりました。


それから曲作りに取り掛かり、ほぼ形が出来上がりかけた頃、
ちょうど、板額御前の物語の「鳥坂(とっさか)城の戦い」があった季節になりました。

情報が得やすくなった今でも、その場所に立ってみて初めてわかることがある、というのは
前回の「八丁沖」の制作の時に大いに実感したことだったので、
今回も、その季節に、現地に行ってみたいと思っていました。

板額御前の守る鳥坂城が陥落したのが建仁元年の旧暦5月のはじめ、西暦に直すと1201年の6月の初旬と
いうことになります。
私がここを訪問したのはゴールデンウイーク中だったので、ひと月ほどの違いはありますが、
春が終わり本格的な夏が始まる間の、一年の中でも比較的穏やかな季節が、
戦いの行われた時期だったという感じは実感できました。



鬱蒼とした山道、大きな木々です。山の匂いがします。



山道横に設置された看板、予想をはるかに超える広さで、鳥坂城と板額御前の一族
城(じょう)氏の領地「奥山荘」が地図上に示されています。
山城という言葉から、小さめのお城一つを一点で思い描いていた私の予想は打ち砕かれました。
それとともに、曲の中に入れさせていただくことになっている、遠藤都美桜先生作の詩吟の中の一節、
「奥山の荘眺は彩雲連なり」の言葉に、山々を超える壮大な広がりのイメージが浮かびました。
やはり来てみないとわからないことがあります。



鳥坂城のあったと思われる山のいただき、遠望。
ひっきりなしに鳥の声がします。こんなのどかな季節に戦が行われたのです。
今は静かに見えるこの山の上に、かつてたくさんの人々が活動して、栄枯盛衰のドラマが
あったと思うと、不思議な感慨を覚えます。



いたるところに山の花が咲いていました。板額御前もこんな花を見て暮らしていたのでしょう。

こうして、新作の琵琶曲「板額御前」に、現地で感じたことも加えて、
私なりに納得のいく形を整えることができたと思っています。


新作の琵琶曲「板額御前」
お披露目は2024年11月10日 新潟市の新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ、能楽堂で開催される、
新潟琵琶楽協会の「琵琶楽演奏会」にて、板額会による舞と共演の舞台となります。
12時ちょうどに出演の予定です。
入場無料、ご予約等必要なしです。

どうぞよろしくお願いいたします。


◉2022年新作「八丁沖 長岡城奪還」については、こちらをご参照ください



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